「才」に溺れず、共に歩む 〜主役の人生を輝かせる弁護士でありたい〜

先日、さかい利晶の杜(さかいりしょうのもり)を訪れ、国宝の茶室「待庵(たいあん)」の写しを拝見する機会がありました。

その際、床の間に「老古錘(ろうこすい)」というお軸が掛けられていました。
長年使い込まれて角が取れ、丸くなった鉄の槌(つち)を意味する言葉です。一見すると古びて見えますが、その内側には確かな重みと研ぎ澄まされた切れ味を秘めているという意味です。

利休居士の「利休」という名も、その鋭すぎる才能を戒め、「才能に溺れることなく、鋭さを休ませよ」という思いから与えられたという説があります。

経験や知識が豊富な分野では、私たちは他の人より早く物事を理解できたり、調べなくても答えが分かったりと思いがちです。
そして、自分のその尺度だけで一緒に働いている人を見てしまうと、「なんでそんなに遅いのか」「やり方が違う」と相手を否定的に捉えてしまいます。
そうなると周囲は委縮し、せっかく一緒に働いている意味がなくなってしまいます。一足す一が二にならないのです。

かつて「衆知を集める経営」を実践された松下幸之助さんは、ご自身が病弱で学歴もなかったからこそ、謙虚に「人にお願いする、任せる」という姿勢を貫き、一代で世界的企業を築き上げられました。自分の尺度、できることを過信しないことの大切さを教えられます。

本来、弁護士という仕事は「職人」です。
法律という専門分野においては、後輩弁護士や事務員、そして何よりご相談者様よりも知識や経験を持っています。

だからこそ、自分の才に溺れ、人の話を聞かずに独善的になってしまう危険を常に孕んでいるのです。

どんな法的手段を用いようとも、その問題やトラブルが本当に解決したかどうかを決めるのは、弁護士ではなく、ご依頼者様自身です。
弁護士が頭の中で描いた「最強の法的手続」や「完璧な解決法」が、ご本人にとっての最善とは限りません。

弁護士の役割とは、自分がスポットライトを浴びて舞台の上で演じることだけではありません。
本当に求められているのは、主役であるご依頼者が自分の想いを自由に語り、自己実現していけるよう、足元を支え、舞台を整えることです。ご本人の横に立ち、共に歩む伴走者や黒子であるべきなのだと強く感じます。

この9月から、当事務所にも新たに1名の弁護士を迎えることになりました。
私だけではなく、共に働く弁護士も私とは違った才を持っています。しかし、才に溺れることなく、良い伴走者となって、私とはまた違った輝きを解き放ってくれるはずです。ぜひご期待ください。

たまたま目にした「老古錘」のお軸を前に、自らの知識や経験を誇ることなく、目の前の方々に寄り添う存在であり続けたいと、改めて身が引き締まる思いがいたしました。

和敬法律事務所は、ご相談者様も、働く仲間も、誰もが安心して自分の想いを出し切れる「自由な舞台」でありたいと思っています。心が詰まってしまったときは、いつでもその想いをお聞かせくださいね。

あなた自身が“主役”になり、輝ける人生を送れるように、弁護士一同、親身となり、寄り添えるよう、努めさせていただきます。

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