幼児が物を壊したり、「いたずら」をしたりしても、許せるという経験はある程度年齢を重ねた方にはあると思います。
対して、、、同じことを大人がした場合は許せないのはなぜか考えてみました。
この違いは、幼児が無邪気であり、その行為に悪意・害意がないと信じているからではないでしょうか。
大人の場合は、ものを壊したりすれば、悪意・害意があるんじゃないか。なくてもそんな不注意は許せないと考えてしまうわけです。
ただ、無邪気であったり、悪意・害意がないことは、邪気や悪意が物理的に目に見えるものではなく、結局は受け手側の解釈に過ぎません。
ところで、自分で行おうとすることについて、動機善かどうか見直して、動機善であれば自信をもって行うということが言われます。
そして、これを身近な人の行動について動機善と見てみてはどうかと思っています。
例えば、従業員が失敗した時、自分の想定したものと違う行動を取った時に、何か悪意・害意があると考えたり、何かぼんやりしていての不注意であると考えたりすると、それを許せないとしてしまい、いずれ関係性が悪くなってしまうでしょう。
しかし、単なる解釈として、まずは動機善でやってくれていると考えてみれば、その後の関係性は良くなっていきます。
人は自分が見えている範囲で自分の知識経験で判断しがちです。しかし、そうなると一人で出来ることも限られてしまいます。
見ている範囲も知識経験も違う他人とのズレを他人の間違いと考えずに、その人も動機善と考えることで結果として真の協力関係が築けると考えています。
問題解決においても、当人が語っていることを弁護士を含め、どのように解釈するかで、その後の結果は大きく変わります。
だからこそ我々弁護士は、相談者の今までの行動、選択を動機善に基づくと考え、相談者に寄り添うことから始めるべきなのです。
弊所の弁護士は、相談者に寄り添い、味方となります。些細なことや他の弁護士事務所で相手にされないような相談事でも、相談者に寄り添って解決へと導きます。
稲吉法律事務所は元裁判官である稲吉が代表で、2名の女性弁護士もいる弁護士事務所です。
女性弁護士を指名できますので、男性弁護士に相談しにくい問題などは、何事もお気軽にご相談ください。
