「検察官への想い」が一瞬で消えたエピソード

私は普段、「元裁判官、元名ばかり検察官、今弁護士の稲吉です」と自己紹介することがあります。

「名ばかり検察官」とはどういうことかというと、裁判官時代に内閣府事務官として金融庁へ出向する際、三権分立の原則上、裁判官の身分のままでは行政庁へ出向できないため、俸給を維持するための方便として検察官の辞令をいただいていました。

実態としては、裁判所の給料日は25日なのに預金口座に振り込みがなく、慌てて検察庁に電話して、検察庁の給料は26日支払いだと教えてもらったという、たった1回きりの検察官らしい体験しかありません。

しかし、私にとって検察官という存在は、かつて強い憧れの対象でもありました。

中高生の頃、世間を騒がせた政治の疑獄事件がありました。思い切った切り込みができない検察庁の銘板にペンキが投げつけられている映像を見て、外から批判するくらいなら、自分が検察官になって世の中を正してやろうと熱い想いを抱いたのを覚えています。

ところが、司法修習生として実際に検察の取り調べに立ち会ったとき、その憧れは一瞬で打ち砕かれました。

これを一生の仕事にするのは難しいと直感したのです。

密室で行われる取り調べにおいて、検察官と被疑者・参考人の間には、法的知識においても権力においても圧倒的な格差があります。その格差を盾にして、まるで騙し討ちのように自白や捜査機関に有利な供述を迫っているように感じられてなりませんでした。

若い頃は権力への憧れがあったはずなのに、いざ自分がその圧倒的な権力を密室で握る側に立つことを想像したとき、本能的な恐怖を覚えたのです。

かつての刑事ドラマのように、捜査機関は絶対に正しく、熱心に正義を行っているという神話は、今や完全に剥がれ落ちてしまいました。
最近でも、権力の勾配を男女関係に持ち込んだり金品を受け取ったりといった不祥事の報道を目にするたび、自分はあの世界に進まなくて本当に良かったと胸をなでおろします。

そうして紆余曲折を経てたどり着いたのが、今の弁護士という仕事です。

弁護士の世界には、国家権力のような一方的な盾はありません。
ご依頼者様の期待に全力で応え続けなければならない責任があり、相手方とは一瞬でも隙を見せれば足元をすくわれるというシビアな緊張関係があります。

守られた安全地帯などどこにもない。
けれど、この対等な立場での真剣勝負と緊張感があるからこそ、決して飽きることのない奥深さと面白さがあるのだと実感しています。

権力に頼るのではなく、一人の人間として、目の前の方の人生と真剣に向き合い、共に戦うこと。

和敬法律事務所は、これからもご依頼者様と対等に寄り添い、どんな相手に対してもひるむことなく、最善の未来を切り拓く伴走者であり続けたいと思っています。
弁護士としてはもちろん、一人の人間として、ご依頼者様に寄り添うことを大切にしています。
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